活松葉ガニ のどぐろ 黒鮑(クロアワビ) 岩牡蠣 オコゼ等、日本海の旬魚 希少三昧の宿 京都丹後 琴引浜 羽衣荘

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活ガニ発祥物語

 丹後地方において活ガニ料理は当館、羽衣荘から発祥し、活松葉ガニ料理専門店は当館だけでございます。しかし現在に至るまでの道のりは決して楽なものではありませんでした。しかしこの30年間、「冷凍ガニは出さない」という信念を変えずにやってきてよかった、と思っております。それは、毎年お越しくださるお客様が、変わらぬ味を求めてくださるからこそです。

「こんな不味い蟹食えるか!」

 父(先代)と祖父は、現京丹後市網野町の浅茂川出身、羽衣荘のある掛津からは車で10分程度の、漁港のある町です。当時住んでいた家の近くには魚屋があり、蟹漁が解禁になると「蟹を茹でる匂いが飛んでくる」そんな所に住んでいました。祖父は「本物の松葉蟹の旨さ」を知っていたのです。
 しかし時代が変わるにつれ、浅茂川の海でもだんだんとカニがとれなくなっていきました。

 今を去る事、三十数年前。北海道産、北洋産の冷凍ズワイガニが多く出回るようになりました。近隣の宿でも一斉にカニブームが巻き起こり、それまで宿経営者ではなかった者もカニの商売を始めました。丹後はカニによって、大変な賑わいとなったのであります。しかし当時の広告には一定の問題があり、お客様は、丹後が海の近くであることから地物のカニであると思い込まれていたようです。
 当宿は、ある理由からカニ料理を出していなかったのですが、ある日祖父が父に、「譲、(近くの宿は)一体どんな蟹を使っとるんや、一度食べさせろ!」と言ったことをきっかけに、当時主流だった格安の「北海道産冷凍ズワイガニ」を祖父に食べさせました。一口食べたとたん「こんな不味い蟹食えるか!」と、怒り二度と蟹に箸を出すことはありませんでした。

祖父にとっては幼いころに食べた生きたカニだけが、まさに「カニの味」だったのでしょう。

「これは旨い、これが松葉蟹や!」

 今思えば贅沢な事ですが、当時は旬の物を旬の内に食べるのが普通の食生活でした。冷凍ズワイガニはやはり「旬」ではない。祖父の言葉が強く残っていた父は、自分の宿で冷凍ガニを出すことはできないと考えました。
 周りの友達からは「何でゆうちゃん(父)は、蟹料理をしないの?」とよく言われたようです。その都度父は、「わしは商売人の前に一人の料理人だ!自分で食べて美味しくない蟹を出して客から金もらえるか!!!」と言いました。
 多くの宿がカニ客で賑わう中、羽衣荘はカニ料理を出すことなく、辛抱の時期が続いたのでございます。

 そんなある日、父が取引先の魚屋でスキー仲間でもあった友人とスキーに行った時、「ゆうちゃん、蟹が活きたまま入るぞ」と聞きます。「何!蟹が活きたまま?」当時のカニといえば冷凍が主流だったので、少し疑問にも思いましたが、私は「よっしゃ、一度食べるから段取りしろ!」と頼みました。数日後、本当に蟹が活きたまま入ったのです!

 そしてその活蟹を祖父に食べさせました。「譲、これは旨い、これが松葉蟹や!」と、美味しそうに食べていた時の祖父の顔が今でも忘れられない、と父は語ります。父にとっては、旬の「活きた松葉蟹」を食べたのはこの時が初めてでした。「こんな旨い物が世の中にあったのか!?」と感動した事を今でも覚えているようです。

 巷に出回っていたカニに対して激怒した祖父が納得した味なら…と、父は活ガニでカニ料理を出すことを決心しました。一人でも多くの人に、本物の松葉蟹を食べて欲しい。そして、取引先の魚屋「魚政」様からもシーズン中の「活松葉蟹」を絶対切らさず段取りすると言う後押しもあり、当宿は玄関先に、「松葉蟹」を活かすための水槽を造ったのです。

「おたくのカニはなんでそんなに高いんや!?」

 忘れもしない、平成5年1月15日。羽衣荘は初めて、先行予約を聞くための新聞広告を出しました。広告をご覧くださったお客様から早速問合せの電話がかかります。しかし掛かって来る電話の殆どが「おたくのカニは、なんでそんなに高いんや!?」というものでした。ボッタクリの宿だと思われたのかもしれません。活ガニのことも説明しますが、最後には「えっお土産付いてないの?」と言われ、ガチャン・・・(電話を切られる音)。
 当時、カニ料理の宿では、「カニフルコース」一泊二食付き一万数千円で、「茹で蟹一匹お土産付き」が当たり前だったのでございます。しかし当宿はセリで高値をつけて活ガニを仕入れていたことから、一泊二食付きで二万円から。お土産もついておりません。

 どうしたものか、試行錯誤の日々が続きます。なんとか活ガニを理解してもらおうと、「冷凍ガニの足を一本でも使っていたら、お代は一切頂きません!」と、どこまでも信念を貫く広告で打ち出して参りました。

「もう一回騙されて見たろうかと」

 ある日、蟹好きで丹後にも何度も訪れているお客様から連絡をいただきました。こうおっしゃいました。「わしは蟹が好きで丹後の殆どの宿に行きつくした。しかしその都度期待を裏切られ、もう二度と丹後には行くものかと思っていた。」「けど、お宅の広告を見てもう一回騙されて見たろうかと言う気になった。本当に間違いないんか?」

 父はこうお伝えしました。「絶対間違い御座いません、是非一度お越しください。嘘ならお代は頂きません」と。

 そのお客様は本当にお越し頂き「やっと本物の松葉蟹に出会えた」と、ご満足頂きました。

活ガニ

「いい蟹だったらなんぼでも出す!」

 紆余曲折あった羽衣荘の活松葉ガニ料理ですが、当初なかなか仕入れるカニの品質が安定しないという問題がございました。5匹入っているうち、3匹は使えない、お客様にお出しできるようなものではない…。これはなんとか、地元のカニに切り替えたほうがいい、と。

 しかし、大きな問題がありました。当時は魚屋も漁師も「水槽で蟹が活き続ける」事を知らない人が大勢おり、地元のほとんどのカニ漁船には、水槽が積まれていなかったのでございます。
 父は船に水槽を積むよう、交渉しました。「いい蟹だったら、なんぼでも出す!」と。最初は聞いてもらえなかったのですが、粘り強く頼み込んだのです。
 そして浅茂川の漁船は、すべて水槽を積むようになりました。漁師は協力してくれました。

 当館では玄関先の水槽を設けたあとも、500L水槽1つ、3つ、5つ…と徐々に水槽が増えて参りました。仕入先である魚政様のカニを当館で預かっていたこともありました。その後魚政様のほうも水槽を増やし、地物の活蟹をお客様にお届けできる体制が整っていったのでございます。

活ガニ

「こんな鮮度のいいモンは生で食わなアカン。」

 ある日のこと。1名のお客様からお電話をいただきました。「今京都駅におるのやけど、一人やと言ったらどこの宿も断られる」「お宅も駄目ですか?」と。「いえ、当館は一人でも大丈夫です」とお伝えし、網野駅までお迎えに上がり、ご来館頂きました。

 いつものように生の蟹味噌を甲羅に盛り「焼いてお召し上がりになり、その後甲羅酒でお楽しみ下さい」とお伝えしました。その後、下がって来た蟹の甲羅を見ると、焼いた後は無く生のまま、しかし蟹味噌は無い!? 父は不思議に思い「蟹味噌はどうした。ちょっと行って聞いてこい」と女将に言いました。

 するとお客様はこうおっしゃったとのことです。「こんな鮮度のいいモンは、生で食わなアカン。焼いたらもったいない」と。

 「蟹味噌、生で食えるんか!?」父は思わずカニを一匹捌いて、恐る恐る、生の蟹味噌を食べてみた所、見た目のグロテスクさとは裏腹に、今まで経験のしたことのない旨さに驚愕したのです!
 それ以来、とりあえず最初は蟹味噌を生でお召し上がり頂くようにお客様にお勧め致しました。

「そんなもの、生で食べられるわけがない」

 また別のお客様で、京都市内からお越しくださった方は、いきつけの寿司屋でこうおっしゃったそうです。「この間、丹後で生の蟹味噌を食べて、美味しかったんや。」しかしこれを信じられない寿司屋の大将は、お客さんのホラだと思っていたようです。そんなもの、生で食べられるわけがない、と。しかし、しびれを切らしたそのお客様が当館に電話をくださいました。「大将、説明してやってくれ!(寿司屋の大将が)なんぼ言うても分からんのや」父は当館の活がにの鮮度とその事情について詳しく説明したのです。

 その後、様々なお客様にお越しいただく中で、「どこで当館をお知りになったんですか?」とお聞きすると、「行きつけの寿司屋で聞いた」とおっしゃる方がいらっしゃいます。これはひょっとして…あの時の寿司屋さんなのではないか?と、そんな風に思うこともあります。

 その後は活松葉蟹のこだわりが徐々に浸透し、メディアの目に留まるようになりました。「ちちんぷいぷい」「サタモニ」「板東英二のバンバンバン」「土日にGO」などでテレビにも出演させていただき、丹後の活松葉蟹の美味しさを広く知っていただけるようになったのです。

活ガニ

「北垣、イヤミか!?」

 このような時代を経て、羽衣荘でお出しする活がには文字通り新鮮で、他所のカニとは一線を画すものとして育って参りました。そんな質のいいカニを食べて、私は育ちました。現在はカニ以外にも「のどぐろ」や「おこぜ」ほか、新鮮な魚介料理をお出ししておりますが、当館に戻る前は、他の宿で料理人としての修行をしておりました。
 その際、調理場で蟹刺しの試食があったとのことです。私は最も新鮮なカニを食べて育ったため、その蟹刺しを食べたくなかったのですが、仕事のため試食することに。しかし・・・その後胸が悪くなり、その日に食べたものを戻してしまったのです。調理場では、私の実家の宿(当館)が活がに料理をやっていることが知られており、「北垣、イヤミか!?」とも言われました。

 修行先の宿には大変申し訳ないのですが、羽衣荘のカニがいかに新鮮で、質の高いものであるか…を改めて知ることになった、嬉しいような、申し訳ないような、複雑な心持ちとなる出来事でした。

活ガニ人生で、分かったこと

 旨いカニのために大事なこと、それはただ1つ。「目利き」だと父は語ります。
 25年以上、生きたカニを見続けていると、見ただけで8割がた、旨いカニかどうかが分かるようになるようです。カニの動きや色。さらに手に持った時の重量感で身詰まりの判断を、お腹の色や、甲羅の硬さで水ガニではないかの判断を。キズをしていて、水が入ったカニは身詰まりも悪く、味噌も不味いのです。

 また、甲羅についた海蛭の卵、これが多いほど脱皮前、つまり体力を温存したカニであるため、旨いと言えます。海蛭は固い場所にしか卵を産み付けられないが、泥地に生息しているため、硬い場所というとカニの甲羅くらいしかない。カニは逆に海蛭の卵を餌にすることもある。つまりカニと海蛭は共生の関係であります。この卵がつく海域は鳥取から北陸の間のみ。つまりこの卵がついていれば、このあたりの海域のカニと見て間違いないのです。

 今ではこれも常識となっていますが、活ガニ料理が無かった頃は、このような知識もありませんでした。知識がなければ、漁港やタグ(ブランド)によって良いカニかどうかを判断してしまいます。でも実際には、どこの漁港で上がっても、つまりどのブランドでも、『良い蟹、そうでない蟹』があります。つまり良い蟹は、ブランドで決まるのではなく、目利きによってのみ、見分けられるのです。

 仕入先である魚政様とは、カニの品質に関して何度も口論になることもありました。しかし今では、当館も魚政様も目利きの技術が磨かれ、品質のよいカニを安定的に仕入れることができるようになりました。

 大切なのはその《目利き》です。そして、悪い蟹は使用しない《心意気》です。父はその《目利き、心意気》は決して誰にも負けないと自負してきました。そして、その信念は私も受け継いでいます。

活ガニ

「人を騙して商売するようなことは、したらアカン」

 私は父から、このことを何度も聞かされてきました。
 私も父も、商売人ではなく、料理人であります。自分が食べて美味しいものでないと、出せない。平成5年、カニ料理を始めてから、冷凍がには一切出しておりません。信じてきてくれるお客さんが、喜んでくださる。このことが、やはり一番大事だと思うのです。この信念を貫く中で、辛抱、戦いがありました。しかし、そのことで羽衣荘の活がに料理は磨かれて参りました。

 私共旅館業は、お客様のお手元に残る商品をご提供するのではございません。その地を訪れ、その地の宿に宿泊し、「来て本当に良かった」というご満足の中にある、目には見えない《思い出》が商品なのです。

 平成5年に始まった、羽衣荘の活ガニ料理。死ぬまでに、いっぺんはこの味を食べて欲しい…冬になると毎年、お客様の喜ぶお顔を思い浮かべながら、カニを1つ1つさばく日々です。

 長くなりましたが最後までお読み頂き、本当に有難う御座いました。

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